すべての本 | バガヴァッド・ギーター | 第10 章
バガヴァッド・ギーター 9.9
उदासीनवदासीनमसक्तं तेषु कर्मसु ॥ ९ ॥
ニバダナンテエ ダナンジャヤ
ウダsイナ-ワダ アsイナン
アサクタマ テシュ カルマス
na — 決して~ない; ca — もまた; mām — 私に; tāni — これら全て;karmāṇi — 活動; nibadhnanti — 束縛する; dhanañjaya — 富の征服者; udāsīna-vat — 中立として; āsīnam — 位置している; asaktam — 魅惑されずにteṣu — これらのために;karmasu — 活動
翻訳
ダナンジャナよ、だが私はこのすべての活動に縛られない。私は常にこれらの物質的活動から離れている。私はあくまで公平中立なのだ。
解説
といっても、バガヴァーンは何もすることがないのだと考えてはいけない。主の精神界においては、彼は常に活動しておられるのだ。『ブラフマ・サンヒター』(5-6)に、「主は常に、永遠で至福に満ちた精神的な御国の中で活動している」と書いてある。物質的活動は、主の様々な勢力によって運行している。創造された世界における物質的活動に対しては、主は常に局外中立でいらっしゃる。その中立性について、ここで"ウダーシーナー・ヴァト(中立公正として)”という言葉で説明してある。主は物質的活動の最小の詳細のすべてを支配しているのだが、御自身は中立公正であるかのように留まる。例をあげてみると、それは最高法廷の裁判官のようなもの。彼の命令で実に多くのことが起こっている。或る人は絞首刑を受けているし、また或る人は獄舎につながれている。そうかと思うと、彼の裁定で巨大な財産を受け取っている人もある。でも彼はあくまで中立だ。すべての事件における獲得と損失について、彼は全く無関係だ。これと同じように、主はすべての活動をお見透しだが、御自身は常に中立である。『ヴェーダーンタ・スートラ』(2-1-34)には、「至上主はこの物質界における二元相対性のなかにはいない」と、書いてある。主はこれらの二元相対性を超越されているのだ。この物質界の創造と破壊について、何の執着もない。生物たちは過去の行為によって各々ふさわしい生命体の種類の姿を受け取るが、主はそれに何の干渉もしないのだ。
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