すべての本 | バガヴァッド・ギーター | 第10 章
バガヴァッド・ギーター 9.5
भूतभृन्न च भूतस्थो ममात्मा भूतभावन: ॥ ५ ॥
paśya me yogam aiśvaram
bhūta-bhṛn na ca bhūta-stho
mamātmā bhūta-bhāvanaḥ
na — 決して~でない; ca — もまた; mat-sthāni — 私の中に位置して; bhūtāni— 全創造; paśya — 見よ; me —私の; yogam aiśvaram— とらえがたい神秘力; bhūta-bhṛt — 全ての生物を養う御方; na —決して~でない; ca — もまた; bhūta-sthaḥ — 宇宙現象の中; mama — 私の; ātmā —自身;bhūta-bhāvanaḥ — 全現象の源
翻訳
だが、創造物のすべてを私が保持しているのではない。わが豊潤なる神秘を見よ!私は全生物の維持者であり、あらゆる所に在るが、私は宇宙現象の一部ではなく、まさに私こそが創造の源泉なのだ。
解説
主は「すべてのものは私が保持している」“マト・スターニ・サルヴァ・ブーターニ”とおっしゃる。このことを誤っては解釈してはいけない。主は、この物質現象の維持存続に、直接タッチしているわけではないのだ。時々私たちは、地球を肩にかついでいるアトラスの絵を見ることがある。土でできた大きなこの惑星を背負った彼は、いかにもくたびれたような表情をしている。この創造宇宙を支えているクリシュナに、このイメージをあてはめてはいけない。彼は、「すべてのものは私が保持しているのだが、私はそれから離れている」と言う。惑星が宇宙に漂う。この宇宙は至上主のエネルギーである。しかし、彼は宇宙ではない。彼は別な存在である。だから、主はおっしゃるのだ。「物質宇宙は想像を絶した私のエネルギーによって展開したものだが、私はバガヴァーンとして、それから超然と離れている。」これが、想像を絶した豊潤さなのだ。
『ニクルティ』というヴェーダの辞典には、こう書いてある。「至上主は御自分のエネルギーを放出展示して、想像を絶したおどろくべき遊戯をなさっている。」彼は様々な力のあるエネルギーに溢れ、人物である彼の決断が即、事実となって現れる。バガヴァーンとはそのよう御方であると理解される。私たちが何かしようと思っても、実に様々な障害があって、なかなか自分の思った通りに事が運ばないことがある、しかし、クリシュナが何かしようと欲すれば、そう思っただけで、この上なく完全にそのことは成就するのだ。どうしてそんなふうになったのか、考えも及ばぬほど見事に現実化するのだ。主はそれについてこう説明される。「全物質現象は私によって維持され存続しているが、私がこの物質現象に直接タッチしているわけではない。」彼の至上意志だけによってすべてのことは現象し、存続し、また消滅する。彼の心と彼御自身は不異である。(私たち自身と、私たちの現在の物質的心とは違うけれども)なぜなら、主は絶対的精神だからである。同時に主はあらゆるもののなかに存在される。このことはわかっても、主が個人的にも存在しているということが、一般の人には理解できない。すべては主によって保持されているが、彼はこの物質現象を離れている。これを、ヨガム・アイシュヴァラム“バガヴァーンの神秘力”としてここに説明しているのだ。
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