すべての本 | バガヴァッド・ギーター | 第 3 章
バガヴァッド・ギーター 2.59
रसवर्जं रसोऽप्यस्य परं दृष्ट्वा निवर्तते ॥ ५९ ॥
nirāhārasya dehinaḥ
rasa-varjaṁ raso ’py asya
paraṁ dṛṣṭvā nivartate
viṣayāḥ — objects for sense enjoyment; vinivartante — are practiced to be refrained from; nirāhārasya — by negative restrictions; dehinaḥ — for the embodied; rasa-varjam — giving up the taste; rasaḥ — sense of enjoyment; アピ — although there is; asya — his; param — far superior things; dṛṣṭvā — by experiencing; nivartate — he ceases from.
翻訳
肉体を持った魂は禁欲しても経験してきた味わいを記憶しているだが、より高い意識を味わうことでその記憶も消えうせるのだ
解説
神聖な意識に定着しない限り、人間は感覚欲を抑えることはできません。いろいろな規則を守って感覚の楽しみを制御するのは、病人が一定の食べ物を制限するのに似ています。ですが病人の場合はやむを得ずそれを行っているのであって、その食べ物に対する好みをなくしたわけではありません。アシュターンガ・ヨーガのような、つまりヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤーハーラ、ダーラナー、ディヤーナなどの修行の段階における感覚制限がそれに似ていて、こうした方法は比較的に知性の低い人たちに勧められています。すぐれた知識を持ち合わせていない人々です。しかし、ひとたび至上主クリシュナの美しさを味わった人は、それはクリシュナ意識発達途上で得られる神秘体験ですが、もう決して屍のような物質次元の楽しみに見向きもしなくなります。ですから、抑制という言葉は修道の初心者のためにあるのであって、実際にクリシュナ意識を経験している人にとっては、その同じ行動は、幸福以外の何者でもありません。本当にクリシュナ意識になった人なら、肉欲、物質欲の対象など火葬場の灰ほどにしか感じられないのです。
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