すべての本 | バガヴァッド・ギーター | 第 3 章
バガヴァッド・ギーター 2.17
विनाशमव्ययस्यास्य न कश्चित्कर्तुमर्हति ॥ १७ ॥
イェナサルヴァミダンタタン
ヴィナーシャマヴャヤシャーシャ
ナカシュチットカルトゥマルハティ
avināśi — imperishable; tu — but; tat — that; viddhi — know it; yena — by whom; sarvam — all of the body; idam — this; tatam — pervaded; vināśam — destruction; avyayasya — of the imperishable; asya — of it; na kaścit — no one; kartum — to do; arhati — is able.
翻訳
体内にあまねく充満しているものは 決して傷つかず 壊されもしない たとえ いかなる人でも方法でも 不滅の魂を 滅ぼすことはできないと知るべきだ
解説
この節は、もっとはっきり魂の本質を説明しています。それは体全体に広がっている。体中に広がっているもの、それはだれでもわかるでしょう。意識です。苦痛と快感、体の一部分でも体全体としても、一人一人がそれを感じています。この意識の広がりは、各個人の体の中だけに限られています。一個体の快苦は、他の個体には感じられません。ですから個々の体にはそれぞれに、個別の魂があります。個々の意識こそ、魂があるというしるしなのです。この魂の大きさは、毛先の一万分の一だとされています。『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』には次のように明記してあります。
bālāgra-śata-bhāgasya
śatadhā kalpitasya ca
bhāgo jīvaḥ sa vijñeyaḥ
sa cānantyāya kalpate
「一本の毛先を百等分し、その一等分をまた百等分する。これが魂の寸法である」次の詩節もこれと同じです。
keśāgra-śata-bhāgasya
śatāṁśaḥ sādṛśātmakaḥ
jīvaḥ sūkṣma-svarūpo ’yaṁ
saṅkhyātīto hi cit-kaṇaḥ
「精神的原子は無数にある。その大きさは毛先の一万分の一」
個々の魂は、物質原子より小さい精神的スパークであり、宇宙に数え切れないほど存在しています。この極微小な精神的スパークが肉体存在の根源で、その生気は体中に広がっています。ちょうどある種の強力な薬品の成分が全身に回って影響するのに似ています。全身に行き渡った魂の気流が、意識として感じられます。意識こそ魂が存在する証拠なのです。どんな人でも、肉体マイナス意識イコール死体、ということはわかっています。死体に対してはどれほどすばらしい物質的な手当てをしても、けっして意識はもどってきません。ですから意識は物質には関係がなく、魂と結合したものであることがわかるでしょう。『ムンダカ・ウパニシャッド』にはまた原子魂の寸法について次のような記述があります。
eṣo ’ṇur ātmā cetasā veditavyo
yasmin prāṇaḥ pañcadhā saṁviveśa
prāṇaiś cittaṁ sarvam otaṁ prajānāṁ
yasmin viśuddhe vibhavaty eṣa ātmā
「魂は精神的原子であり、これは完全な知識を達した人によってのみ看取される。この原子魂は心臓の中に位置し、また体内における5種の気流(プラーナ、アパーナ、ヴィヤーナ、サマーナ、ウダーナ)の中を流動し、生物の肉体にあまねく影響を及ぼす。この生理的気流の汚れを落として清浄となったとき、魂の本性が発現する」
ハタ・ヨーガというのは、この5気流をさまざまな座法によってコントロールするためのものであって、美容や健康が目的ではありません。生理的物質的束縛から魂を自由にするのが目的なのです。
この原子魂の本質については全ヴェーダ文献が認めているところで、健全な考え方の人なら実地の修行によって了解できるところです。ただ病的な心理の人だけが、この原子魂のことを「宇宙に遍満するヴィシュヌ・タットヴァ」だと考えています。
原子魂の影響は、ある特定の個体のすみずみにまで及んでいます。この原子魂は『ムンダカ・ウパニシャッド』によると、各生物のハートの中に在ります。ところが原子魂の寸法が、物質次元の科学者の理解を超えているものですから、科学者の中には愚かにも「魂なんて存在しない」などと主張する者がいるのです。原子魂は個々の生物のハートの中に、スーパーソウルとともに断固として存在します。そして肉体活動のすべてのエネルギーは、ここから発するのです。肺から酸素を運ぶ血球は魂からエネルギーを取り入れます。魂がこの場所から去ってしまえば、血液の作用も止まります。医学は赤血球の重要さを認めながらそのエネルギーの源が魂であることを理解できません。ですが、肉体に関する全エネルギーの所在地が心臓であることを、医学は認めています。
原子魂、全一霊の原子部分は、太陽光線の光子に例えられます。日光の中には無数の光子が存在しています。それと同じように、原子魂は至上主が放つ光の火花なのであり、これは「プラバー」(上位エネルギー)と呼ばれています。ヴェーダのみならず、現代の科学においても、肉体の中に魂が存在することは否定できないはずであり、その魂のことについて『バガヴァッド・ギーター』ではバガヴァーンみずからがはっきりと説明してくださるのです。
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